先日森を歩いた時、
「樹木と人間は何が違うのだろう」
という思いが湧きました。
もちろん人間は樹木ではありません。
けれど、その時
「樹木と人間は同じだ」という、
言葉では表現しにくい
感覚があったのです。
「そんなことあるわけない」と否定する
声がどこからか
聞こえる一方で、
とても強く迫る、
抗えない体感がありました。
むかし読んだ本を
読み返した時、
それは自分だけの感覚ではなく、
古くから同じように感じる人たちが
いたということをリアルに感じました。
古代から人々が語り継ぎ
残されてきた民話や伝承のなかに、
木々と人間との繋がりを示す話が
多く記されています。
●
楡(ニレ、エルム)の木と人間との繋がり
「人間が木からできたというイメージは
非常に古いものだ。
木は雄と雌の個体に分けられ、
そこから男性の木と
女性の木が生じた。
楡(ニレ)は男性の木とされていた。
イタリアでは
<女性の>ブドウの木を守るようにと
<男性の>楡(ニレ)が
ブドウ畑に植えられた。」*
また別のゲルマン神話では、
「木の夫婦の話がある。
渚をぶらついていた神々が
2本の丸太を発見した。
漂流物として流れ着いたもので、
楡(ニレ)ととねりこの幹だった。
神々はこれらに
魂と言葉と血と命を吹き込み、
人間の祖先とした。」*
ゲルマンの神話では、
ニレとトネリコが
人間の祖先なのです。
この記事を読んでくださっている方も、
きっと樹木と深くつながる(共感・共鳴する)感覚を
お持ちだと思います。
この感覚は、
見える世界や思考を超えたもの。
普段はとらえにくいものですが、
確かに私たちの中にあるものです。
こんな側面が
実は大事な
生命力の源なのではないかと
感じています。
大切に育てていきたいですね。
*『樹(バウム)』
(スザンネ・フィッシャー・リチィ、あむすく)より