3ヶ月に一度、ケルトの祝祭のタイミングで
ワークショップをさせていただいています。
「暮らしに役立つケルトの知恵3
〜ケルトの神話と植物信仰を学んで生かす〜」
(主催:mahina pharmacy)
昨日は
ルーナサの会でした。
ご参加くださった皆さま、
ありがとうございました。
ルーナサは8月1日
(7月31日の日没から)
行われる収穫祭です。
この祝祭について
調べてみると、
太陽の光の男神ルーを祀り、
小麦やトウモロコシの収穫を祝う中に
多くの要素があることに気づきます。
収穫を喜び、
共同体の全員で祝うだけでなく、
11月からの「闇の半年」に向けた
準備を始めるタイミングであり、
これからも豊かに実りを得るために
人間の暮らしを
整えてゆく時でもありました。
そのために
共同体に貢献した死者を弔い、
共同体をまとめる決まり事を
見直して発布したり、
農村では
雇用契約の更新が
行われたそうです。
そして、あらゆる分野の
競技大会が
身分を超えて行われ、
共同体の結束を強めました。
競われたのは、
陸上競技、水泳といったスポーツに加えて
芸術(歌や踊り、物語をよむなど)、
職人の技術など、
広い範囲に渡っていました。
この光景を想像しただけで、
情熱的なケルトの人たちの
高揚感が
伝わってくるようです。
ルーナサは
「ルー」という名の
アイルランドの太陽神を祀る
祝祭ですが、
男神ルーには
二人の母神、産みの母と
育ての母がありました。
ルーの太陽の光と、
母親の「産み、育てる」力は
収穫に直接結びつきます。
植物は、太陽の光(ルー神)と
大地の生み育てる力(母神)があって
実を結びます。
ルーの大集会で
死者を弔う要素は、
男神ルーが
亡くなった母神を供養し、
大地からもたらされる実りに
感謝する意味合いも
含まれていました。
母神がもたらす穀物の豊かな実りが
大地の女神と結びつき、
ギリシャ神話のデメテル(大地と豊穣の女神)や
キリスト教にも取り入れられ
聖母マリアのイメージにつながったとのこと。
ルーナサには
太陽の光の神を祀り
豊かな実りをもたらす
大地の女神に感謝して、
黄金色の小麦や
トウモロコシの収穫を喜びながら、
闇の半年が始まる
次の祝祭「サウィン」に向けた
準備を始める祀りでした。
ケルトの神話や祭のことを
知れば知るほど、
相反する2つの要素は
反転のタイミングを持ちながら
1つであるのを感じます。
光と闇は
暦にも反映され、
11月1日に
光の半年から闇の半年に変わり、
5月1日に
闇の半年から光の半年に変わる
循環を繰り返しています。
光の半年、人々は
闇の半年を意識して
植物を育て、収穫し、準備を整え、
闇の半年には
光の半年が必ずやってくるという
強い願いや信念を持っていました。
また、
死は生と繋がっていて、
生きる者は
死者との交流を通じて
守られ、生きる力を強くする…など。
2つの側面は
固定したものではなく、
永遠の生命、
死と再生の繰り返しのなかで、
常にダイナミックに変化して
相反する力は反転したり、
互いの要素を含むことで
新しい生命や実り、経験を
生み出す原動力に
なっていました。
このような考え方は
フラワーエッセンスにも
通じるように思います。
心が不調和な状態にある時、
マイナスの感情や思考に
はまり込んで出られないように
感じることも多いものです。
けれども、自分の中に
不調和な状態があるということは、
調和した状態があることも示しています。
方向がネガティブに傾いているのか、
バランスしているのか、
という違いはありますが、
ネガティブ(闇)の存在こそが
そこに調和の取れた状態(光)が
あることを表しているのです。
フラワーエッセンスは、
心が闇の中にある時も
そのどこかには
光(調和した状態)につながる
道筋があり、
それを見出す
後押しになります。
心理的な不調和を
決して「悪もの」にせず、
そこから今の自分に気づいて受け止め、
調和の方向へと進む
自らの力を取り戻す
サポートです。
闇を悪いものではなく
生きることの一側面で、
常に光の要素を含み、
その相反する力は
ダイナミックに関わり合っている、といった
しなやかで
動的な考え方は、
今の私たちにとっても
大きなヒントになり、
力を与えてくれます。
明日の日没から
ルーナサの祝祭が始まります。
大陸の東の端の日本から、
遠く西の端の古代ケルトに
心を合わせ、
季節の節目に
自分の変化や
実りに目を向けて
過ごしてみるのも
よいかもしれません。
暑い日々ですが、
お元気でお過ごしくださいね。
参考:鶴岡真弓『ケルト 再生の思想』ちくま新書