ケルトの暦と日本の暦の親和性

大陸の西と東、

ケルトと日本の人々は

ともに農耕民族です。

田畑を耕し家畜を育て、

木の実をとって

生活していました。

豊作、不作も

自然からもたらされるもの。

人間の力の及ばない領域です。

自分たちの生死を左右する

自然を畏れ敬い、

豊かな実りを祈るのは

必然のことだったでしょう。

種まきや収穫といった

農耕の大切な節目に

豊穣を祈願し

祭りをおこないました。

ケルトと日本の繋がりは、

自然信仰とともに

「暦」にも

見られます。

どちらも

太陽と月の

両方の運行を取り入れた、

「太陰太陽暦」を

使っていました。

太陰太陽暦は、

太陽の一年(365日)と

月の一年(354日)の差を

うまく計算して作られた

科学的に高度な暦と

言われています。

日本に伝わったのは

飛鳥時代(6世紀後半)のこと。

約4千年前に

中国(黄河流域)で

農耕のために生まれた暦です。

現代、世界の標準となっている

太陽暦(グレゴリオ暦)にかわる

明治5年(1872年)まで

使われていました。

「旧暦」とも呼ばれ、

今も私たちの暮らしに

生かされています。

広く東アジア地域でも

活用されているとのこと。

古代ユダヤの暦も

太陰太陽暦でした。

ケルトの暦で

一年は13か月あり、

11月1日(サウィン)から始まります。

それぞれの月は

聖樹(聖なる樹木)と、

原初的な文字である

「オガム文字」が

結びつけられていました。

ちょうど今は

「エニシダ」の季節にあたり、

このような形の

オガム文字と

関連づけられていました。

 

 

日本を含めた東洋の暦では、

2月4日(立春)に一年が始まり、

12か月に区分されています。

農耕民族にとって

太陽の運行は

収穫を大きく左右する

重要なもの。

地球が太陽をめぐる軌道(黄道)を

90度ずつ4つに分け、

「冬至」「夏至」

「春分」「秋分」という

節目が設けられていました。

この4つの節目の間に

季節の始まり(または豊穣)を祝う

祭りがおこなわれます。

この祭りのタイミングは、

ケルトも日本も

ほぼ同時季です。

日本の立春は

ケルトのインボルクと、

立夏はベルティネと、

秋が始まる立秋は

豊穣を祝うルーナサと、

そして立冬は

サウィンと同じころです。

冬の寒さの厳しい

北ヨーロッパと

比較的温暖な日本では、

季節との関りや感じ方に

多少の違いはあるとしても、

ほぼ同じタイミングで

節目を迎えています。

この「太陽」の運行と同時に、

満月から新月まで

満ち欠けを繰り返す

「月」のサイクルも考慮に入れ

うまく工夫されていました。

空の太陽や月、

星々の運行も含め、

自然は、

自分たちを守り、育み、

住処を与える一方、

脅威にさらす存在でもありました。

私たちは

自然を前にすると、

無条件に

自らの小ささと

自然の偉大さを

感じます。

古代の人々が

自然に

神の存在を見て

祭りをおこない

豊穣を祈ったのは、

私たちの中にもあるような

自然に対する畏敬の念と同時に、

生かされていることへの

感謝と謙虚な気持ちを示すこと、

供え物をすることで

生き抜くための

力が与えられると

考えたのでしょう。

暦は、

自然の力と恵みを得る

実践的な知恵でした。

私たちは

暦を通しても、

遠く西の

古代ケルトの人々の意識と

響き合っていると言えるのです。

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