「理屈じゃなくて、花」── 心がふっとほどけた、5つの体験

先日「50代になって、幸せ探しをやめた話」を綴りましたが、
実のところ、それまでにも転機は何度もありました。

なかでも大きかったのは、30代で仕事を辞め、自分の心と向き合いはじめた頃。
まだフラワーエッセンスのことも知らなかった当時、
ただ花と静かに過ごす時間が、
少しずつ自分を取り戻すきっかけに
なっていたように思います。

その頃のことを思い出しながら、
「理屈じゃなくて、花。」—-
そんなふうに、心がほどけていった体験を
SNSに5回連続で投稿しました。

こちらにまとめてみます。
よろしければ、お付き合いください。

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”ちゃんとしなきゃ”がゆるんだ瞬間

忙しさのなかで、呼吸が浅くなっていたり、
何がつらいのか分からないまま、落ち着かない気持ちで動き続けていたり。
そんなことは、ありませんか?

当時の私は、「早く立て直さなきゃ」と焦っては、空回りばかり。
頭と心がちぐはぐで、笑っていても心がついてこない。
自分の居場所が、どこにもないように感じていました。

でも、誰かにうまく説明できるわけでもなく、
「こんなことで落ち込むなんて」と、自分を責めてばかりいました。

そんなある日。
ふと窓を開けたとき、ベランダのローズマリーの鉢に目がとまりました。

小さな苗だったはずが、いつの間にか木のようにしっかりと育ち、
たくさんの薄紫の花を咲かせていました。

その姿を見た瞬間、ふっと肩の力が抜けて、
泣きたくなったのを、今でもよく覚えています。

ほとんど世話もしていなかったのに、
ちゃんと根を張り、自分の力で咲いていたローズマリー。
誰に見られていなくても、褒められなくても、
ただ、自分のタイミングで、静かに咲いていたのです。

その姿に、尊敬と感謝のような気持ちが湧き上がりました。

「安心するのに、理由なんていらないんだ」——
そう思えたあの日から、
この花を見るたびに、「私もきっと大丈夫」と、少しずつ感じられるようになっていきました。

今の私は、かつてのように迷うことがあっても、
「悩みながらでも、ちゃんと生きていける」と信じられるようになっています。

こんな自分はよくて、こんな自分はダメ。
そんなふうに、いつも自分を判断していた私に、
「理屈じゃないよ」と、そっと教えてくれたのは、本でも言葉でもなく、花でした。

考えすぎずに感じること。
ほどけていく心を、そのまま許すこと。
それがどれほど大きな安心になるかを、花が教えてくれたように思います。

それは、「ちゃんとしなきゃ」ではなくて、
「こんな私でも、少しだけ信じてみよう」—-
そんな小さな希望でした。

自分への希望。
それは、小さな花から始まったのです。

 

 

「大丈夫」と、自分にやさしくなれた瞬間

「何がつらいの?」と聞かれても、
うまく言葉にできない。
自分でもはっきりわからないまま、
心の奥に、重たい感情だけが広がっていく——
そんな経験はありませんか?

私にも、そういう時期がありました。

理由のわからない不安や焦りを抱えたまま、
なんとか毎日をやり過ごしていたある日のこと。

ふと、こんな思いが心に浮かびました。
「この気持ちを、いつまで持ち続けるの?
もう手放してもいいのでは?」

それは頭で考えた答えではなく、
もっと深いところから、湧き出てくるような感覚でした。

あの頃は、よく自分を責めていました。
「なぜ自分だけ、こんなに立ち止まっているのだろう」
できないこと、進めない、情けない自分。
感情までも「ダメなもの」と決めつけ、否定していたのです。

でもその日、ふと浮かんだのは
「もっと気楽に考えてもいいのかもしれない」という思いでした。
そして、それを許すのは、他の誰でもない、自分なのだと気づいたのです。

きっかけは、通りがかりに立ち寄った花屋さんでした。
店先に並ぶ季節の花たちが、それぞれの姿でただ咲いている。
その風景にふと目がとまり、
なぜか、すっと心がゆるむのを感じました。

言葉にはならないけれど、
光が差し込むような感覚が、心の内に広がったのです。

理由も根拠もありません。
それでも、「今の私がこうなら、それでいい」
「できることから始めてみよう」
そんなふうに思えた瞬間でした。

切り花は、自然のままの姿とは違うかもしれません。
けれど、与えられた環境のなかで静かに咲いている姿に、
「大丈夫」と、背中をそっと押されたような気がしたのです。

それ以来、少しずつ、
自分の感覚を信じてみようと思えるようになりました。

心地よくない気持ちにも目をそらさず、
「今、そんなふうに感じているんだね」と
自分にやさしく声をかけるようにしていると——

今まで見えていなかった
日常の小さな喜びや、ほっとする瞬間に、
自然と気づけるようになっていきました。

花は、すぐに答えをくれるわけではありません。

けれども、
言葉にならなかった想いや感情を、
静かに、やわらかくほどいてくれる存在なのかもしれません。

理屈ではなく、感じること。
そこから心が動き出します。

そして、動き出した心が、
少しずつ前に進む力を育んでいく——

花はときに、
そんな「始まり」のきっかけをくれるのです。

 

 

癒しは “前向き” じゃなくていい

「前向きに考えよう」
「気持ちを切り替えて!」

そんな言葉が、かえってつらく感じるときがあります。
がんばりたい気持ちはあるのに、気力がついてこない——
そんな自分に、どう向き合えばいいのかわからないまま、ただ時間が過ぎていく。
あの頃の私も、そうでした。

「がんばれない自分はダメ」
「もっとポジティブにならなきゃ」と
自分を追い詰めていた日々。

本当はもう、疲れきっていたのに。
立ち止まるのが怖くて、
とにかく前を向こうとしていました。

限界は、ある日ふいにやってきました。
気力がぷつんと切れて、何もしたくない。
というより、何もできないのです。
そんな自分を、また責めてしまう——
それしかできませんでした。

でも、不思議なことに、そんな時でも
花を眺めていると、心が少しだけ緩みました。

何もできず、動けなくなった私のそばで、
花はただ、静かに咲いていました。
何も語らず、ただそこにいるだけ——
その姿に、そっと救われるような気がしたのです。

花を眺めるだけの日々が、しばらく続きました。
そのなかで、少しずつ心がほぐれていくのを感じました。

花は、焦らず、無理に明るくふるまうこともない。
ありのままの姿で、季節を生き、やがて静かに枯れていく。
その自然な在り方に触れているうちに、
「自分もこんなふうであっていいのかもしれない」
そう思えるようになっていきました。

「花のように、ただ命を生きていい」
そう感じたとき、心の奥に、ふっと希望のようなものが生まれました。
そして、久しぶりに深く息を吸いたくなったのです。

癒しは、「前向き」になろうとがんばることから
始まるとは限りません。

むしろ、がんばれないときの静けさのなかで、
気づかぬうちに芽生えていくこともあります。

それは、蕾が静かにふくらみ、
ある朝そっと花が開くように、
そんな、やわらかな変化です。

「がんばれない自分」も、
今の大切な一部。
変化は、必要なときに、自然にやってくる。

無理に前を向こうとしなくても、
静かに気持ちが変わっていくことがある。

それを、花のそばで知ったように思います。

 

 

人に言えない孤独に寄り添ってくれたもの

たくさんの人に囲まれているのに、
ふと感じる孤独。
誰かと話していても、
心の奥にズレや違和感が残ってしまう—-
そんな感覚に、
長いあいだ悩まされていました。

「自分は、ここにいていいのだろうか?」
答えの出ない問いを抱えながら、
いつも“平気なふり”をして
生きていたように思います。

誰かと一緒にいても、
心はひとりと感じてしまう。
「わかってほしい」と願うほど、
言葉は出てこなくなる。
大勢の中にいるときほど、
自分だけ浮いているような感覚。
その違和感を抱えたままの自分を、
また責めてしまう—-
そんな悪循環から抜け出せずにいました。

花との“沈黙の対話”

ある春の日のこと。
道ばたに、小さな水色の花が
咲いているのを見つけました。

新緑が芽吹く季節のなか、
風に揺れながら、
大地に近い場所で、
静かに咲いている。
存在感はほとんどないのに、
なぜか目を奪われて、
足が止まりました。

私はその場にしゃがみこみ、
しばらく花を見つめていました。
言葉もなく、ただそこに
一緒にいるだけなのに、
なにかが、深いところで
通じ合っているような気がしたのです。

心に触れるものは、言葉の外にもある

もちろん、花は私の話を
聞いてくれるわけではありません。

それでも、ただ花を見つめているだけで、
「ひとりではない」と思える時間が、
そこには確かにありました。

人との関係では癒せなかった部分に、
そっと入り込んできた自然の存在。
それは、言葉ではうまく説明できないのですが、
私にとってはたしかな感覚でした。

ずっと持ち続けていた
違和感や孤独感が、
花と過ごす静かな時間のなかで、
すこしずつ、やわらいでいくのを
感じたのです。

 

 

理屈じゃなくて、ほんとうに“効いた” 花

「変わりたい、変えなきゃ」と思って、
がんばってみても、ほとんどが空回り。

そんな思いをそっと手放して、
ただ花のそばで静かに過ごす日々を選んだとき、
いつの間にか、心が軽くなっているのを感じました。

あのときの体験は、今ふり返っても、
たしかに「花の力を役立てた」と言える出来事です。

それはつまり、
“花が心に効く”ということを、
ほんとうに実感した最初の瞬間でした。

変えようとしない時間が、変えてくれた

花と過ごす静かな日々のなかで、
私はいつの間にか、自分を取り戻していったように思います。

「がんばって変えなければ」と思わなくなり、
疲れた日は無理をせず、
できるだけ静かな時間を持つようになっただけでした。

自分に厳しい言葉を向けることも減り、
人と話すときの緊張が少しやわらいで、
風の心地よさを感じられる瞬間も、
少しずつ増えていきました。

心のどこかに、以前はなかった
“余白”のようなものが
いつの間にか、生まれていったように思います。

 

フラワーエッセンスとの出会い

そんな頃、ある人にすすめられて出会ったのが、
「フラワーエッセンス」でした。

最初は半信半疑。
でも、「植物のエネルギーが感情のバランスに働きかける」
という考えには、どこか自然な納得感がありました。

実際に試してみても、すぐに劇的な変化が起きるわけではなく、
「これが効いた」と明言できるようなものでもなかったのですが、

心のざわつきがやわらぎ、
感情の波が静まっていくような、
そんなやさしい手ごたえがありました。

そして何よりも、
「無理して変わらなくてもいい」
「今のままで、生きていていい」

そんな植物たちの“あり方”そのものが、
自分の内側にそっと染みこんでくるような気がしたのです。

花とともに、自分を大切にする日々へ

それ以来、私は少しずつ、意識して
自分の心と向き合うようになりました。

疲れた日は無理をせず、
揺らいだ気持ちは、エッセンスや自然にそっとゆだねてみる。

「理屈じゃなくて、花」——
この言葉は、私にとって
“こうあるべき”という思考から自由になる、
魔法のような言葉です。

植物の力は、静かに、でも確かに、
心を整え、その人らしい命を支えてくれる。

その力を受けとる感受性は、
きっと誰の中にも、眠っているのだと思います。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また少し時間をおいて、
フラワーエッセンスについての投稿も綴っていく予定です。
心にひっかかるものがあれば、また読みにいらしてください。

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