聖書に思うフラワーレメディの意味

キリスト教と
あまり縁を持たずに育ち、
聖書には
大人になってから、
特にフラワーレメディを知ってから
関心を持つようになった。

「はじめにことばがあった」
「神は光あれと言った」という文章を
折に触れて読む。

そのたびに心が引き上げられる。

レメディにゆかりの
オリーブやブドウなどの植物が
多数登場することも
レメディ使いには大きな魅力。

書いた人は
植物の植生もよく調べていて
その植物の生き方やありように
人の生き方を関連づけたと
言われている。

フラワーレメディを開発した
英国の医師、バッチ博士は
宇宙の聖なる力や
人間の内なる力を
普遍的な大いなる源に
見出していたけれど、
それを多くの場合
キリスト教の考え方を基礎に
表現した。

触れる機会の少なかった自分にとって、
聖書は
長い間人々の生きる規範や支えとして
読み伝えられてきた
聖なる書物。

それは今も変わらない。

けれど最近
聖書を別の見方で
とらえる機会があった。

聖書はイエスの教えを
後世に伝えるために、
当時読み書きのできた人
(=身分の高い男性)が
書き記したもので、

解釈の違いや
人々(庶民)を
教会がコントロールしやすくする要素も
あったという。

これまで耳にしたことはあっても、
そんな一面もあるのだろうと
掘り下げて考えたことはなかった。

ある日、
古代の智慧の勉強会で
あらためてその類の話が出た。

特に印象深かったのは
聖書が
男尊女卑というもの。

その数日後、
同じテーマが
全く関係のない
別の場所の人からも出た。

驚いたが、ここにも
人の普遍的な性質を見る気がした。

聖書に編集が重ねられたことも
男尊女卑も
強いものが弱いものを支配するという構図の中にある。

人は
どこかで
他者をコントロールし
別の場所では
コントロールされている、
という面は
否定できないだろう。

意識していなくても
そんな関係性の中で
私たちは生きている。

この「コントロールする・される」の
関係から抜け出ることが
本当の自由を得ることなのだと
あらためて思う。

話が少し壮大になってしまったけれど、
誰もコントロールせず
誰からもコントロールされない、
そんな自由を得るための助けが
フラワーレメディだと
バッチ博士は言った。

聖書の一面を知ったことで
フラワーレメディの意味を
あらためて感じた。

バッチ博士の考え方は
今も私たちに
大切なメッセージを伝えている。

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